明日からはもうこの生まれ育った家に入る事はない。
最後の最後に見納め。
ガランと片付いた家の中、工場。
至る所に残る記憶は、今はまだ匂いを伴うほどに鮮明。
徐々に忘れ、今感じている痛みも消えて行くのだろう。
母が新しい住まいに移り、その場所はとても綺麗で安心している。
広すぎるこの家で一人暮らす母を心配するよりは、よほど良い。
なのに何故か今更のように無念を感じ、寂しく、悲しい。
高校時代、鍵を忘れてクラブから戻ると誰も居てなくて、開いてるはずの2階の祖母の部屋まで壁を上り入ったなぁと隣家と家の路地を眺める。
工場2階に元々あったベランダでは、喘息の発作が出て眠れなかった明け方に丸くなって居眠った。
その横の事務所は高校生の頃の自分の部屋。友人とよく朝まで酒を飲んだ。
両親の寝室を覗き、吐血し息を引き取った父が最期に横たわった場所に座った。
ありがとうございました。と今頃になって。
神棚があった和室は祖母の部屋。
三重から帰って来たときに、その隣の部屋が自分の部屋になった。
精神的にまいっていた当時、隣室から聞こえる祖母のいびきにとてつもない安心感を得た。
すっかり古びた玄関ドア。ここで記念写真をよく撮った。自分の時も、子供たちの時も。
生まれ、育った場所。
生み、育てた場所。
笑って、泣いて、どなりあって、分かち合って、労い合って。
祖父母を祀り身内のみんなが集まる場所だった。
「工場と近いところに家を買え」という父の進言で今の住まいに居る。
明日から他人が出入りするこの家を通って、今の工場へ通うのはしばらくは辛いかもしれないけれど。
良い人だったらいいなぁと願う。
サンキュー実家。
最期に見てまわれて良かった。