重松清の定年ゴジラを読み終えた。まる一日で完読するほどに没頭できたのも久しぶり。
都心から2時間のニュータウンに住む定年退職を迎えた初老グループの物語。
登場人物それぞれの個性や、今の気分に似た部分も相まって共感する部分が多かった。
親世代の時代の物語だけど、歳が近いからか「わかる」と泣ける。
好きな場面がいくつもある。
奥さんが娘の結婚相手の元妻の写真を「小さな水たまりを跨ぎ越すような軽い調子で、はがきを真っ二つに引き裂いた」。
この奥さんの存在感が場面場面で素晴らしく男前なのだ。
出てくるアイテムも懐かしい。使い捨てカメラの「何を撮ったか」のくだりでも涙。
そうだったなぁ、とか。そんなんだったかなぁ、とか。
「老害」という言葉を耳にして久しい。自分でも口にしてしまっている事もある。
ただ、今は「害」ともとれる言動を起こす人も、もしかしたら現役労働者時代は辣腕を発揮していたエリートだったのかも知れないし、その時代を必死に「家族のため」に働きぬいた人だったのかも知れない。
時代の変化について来れず、現役時代の自分への執着が捨てられず、弱いがゆえに強がり、孤独になっていく人は周りにも居る。
老いる事は害ではない。多分そうでは無いと信じたい。
老いの自覚を持ち、道を譲る事を出来ない思考が害なのだろうと思う。
物語の最後にその後の短編がある。
出たばかりのパソコンを買い、町内会のホームページを作るくだり。
父もそうだったなぁと。
団塊の世代のアンテナと行動力と我慢。
否定する点は無論あるけれど、少しは受け継いで息子にリレー出来れば良いなぁなどと。