2013-10-21

長島義明講演会

小雨の降る肌寒い朝。10月20日。
半年がかりで少しづつ準備した講演会を開催出来た。

「雨だし、空席だらけかな」と心配していたが、
会場の体育館に足を踏み入れると、予測以上の参加者の数。
プロジェクターで映し出されたこのスクリーンを眺め、少し感無量。

春に会長就任したその日に、校長と日程を決め、
講師依頼をし、会議を重ね、ポスターを作ったり。
土曜の前日準備で、直前までドタバタしたけど。
PTA一丸で臨んだ四校園合同講演会。
色々な思いを込めて会長挨拶をさせてもらった。


講演内容は、長島先生の写真のスライドショーが中心。
その時々のエピソードや撮影場所などのコメントを交えながら、
終始穏やかに、和やかにお話をして下さった。
美しい風景、動物。建物や人。
色んな環境の中で生きる命。

アメリカ芸術雑誌協会最優秀賞受賞作である
「ONE WORLD ONE PEOPLE」からの写真も幾つか映してもらえ、
「この人々の3メートル後ろに私が居る、と思って見て下さい」と仰った。
写真の見え方が変わるのが面白い。(超単純です)

講演終了時間に「最後にこれだけを見て欲しい」と
「アフガニスタン再訪」のVTRを準備し、
「ご都合のある方は帰っていただいて結構ですので」と笑う長島氏。
私自身は、このアフガン再訪の講演も聞きに行きたいと思っていたので、
とても嬉しく、スクリーンを眺めた。席を立つ人は殆ど無かった。

1977年。ソ連侵攻前の平和なアフガン。
マザリシャリフで群舞する白い鳩。

タリバンによって爆破された、今は無きバーミヤンの石仏。

ヒンドゥークシ山中の峠村で撮影した子供達。
祝いの席だったらしく、長島氏は料理を振るまってもらった。
「今日の写真を持って、また来るよ」と約束した写真。

その約束を果たす為、一昨年34年ぶりにアフガン再訪を決意された。
長島氏69歳の年齢での、紛争国への旅である。

この写真を見せながら探し続けて、ようやく出会えた当時の「少年」。
こぼれる笑顔の「少年」も今はタリバン。
他の少年たちも同じ。もしくは戦死。

タリバンの村にある「少年」の家で、
「これ以上この村に居ると、見つかればお前も殺されるぞ」
そう進言され、長島氏は席を立つ。

長島氏の哀しみがVTRで伝わる。

家の前で別れ際、「他のヤツらにも写真を渡しておくよ」と、
長島氏からの「約束の写真」を受け取り、記念撮影にも応じる「少年」。
ほころぶ長島氏の表情が素敵だった。


長島氏がアフガン入りを果たす5日前、
7人の軍人が首を切り落とされ、路上に捨てられていた。
日本に帰国した日には、ロケット弾で米軍ヘリが撃ち落され、
38人の米兵が死亡した。

長い年月、戦争を続けて来たアフガンは、
1977年当時の面影も無く、すっかり変わった。

平和だったアフガンを本当に知っている人物。
もしかしたら、これから先のアフガンの平和の為に、
長島氏のような人物が必要とされるのではないだろうか。


講演の中で「子供の笑顔は万国共通で愛おしいもの」と仰った。
平和とは程遠いアフガンの子供達も、カメラに向かいはしゃぐ姿は、
34年前も現在も同じく愛おしい。

23日にはスイスに旅立たれる。
そこで再婚され、年内に永住なさるそうだ。
出会えて光栄でした。心より感謝。